黒錆



砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない、読了

 前々から言う通り、僕はこの著者の桜庭一樹という人がどうしようもなく好きなのです。女史の書く文章が好きというのもあるし、読後感のすっきり感(時にモワッと感)が好きだし、あとがきで垣間見る事のできる女史のネタ的行動やネタ的交友関係とか、そう言うモノをひっくるめて好きだと思っている訳です。というより、僕好みとか、僕の波長にあってるとか、そういう言い方をした方が適切かも知れないです。とにかくまぁ、僕の中で桜庭一樹という人の本は「ハズレ無し」という印象がある訳ですね。印象というかもうここまできたら事実とまで言い切っちゃっていいんじゃないかというくらいに。

 だからこそ、今回はすごく丁寧に読みたかったし、事実読んで、その後で丁寧に悩んだのです。否、未だに悩み続けています。悩む事に何ら意味はないのに、僕はひたすら悩み考え続けてウネウネしている。嗚呼素晴らしきモラトリアム期間。ビバ境界人。

 と言う訳で感想に入っていく訳ですが、先述した通り今回は無駄に丁寧に読んで無駄に(僕のちいさなおつむをフル稼働して)考察を重ねている訳で、その所為で逆に、今までの感想に比べて非情に読みづらく、また大きなズレを産んでいる可能性があります。文法的に、語感的に、おかしな言葉の並べ方だって沢山出てきそうです。そうでなくたって的はずれな事を述べるこの「感想」カテゴリなので、それ相応の覚悟がないと無理だと思われます。あと、比較的ネタバレを含んでいるのでそういうのが嫌なら絶対読むべきではないと明記しておきます。
 まぁそんな心配要らないか。



 表紙絵と題名的にもものっそい甘っただるい内容なのかと予想して読めば確実に裏切られる内容。本当はまったく逆の意味で甘っただるくてしつこくて、激しくむかつく(ムカつく、では無い)内容。
 単なるほわほわな内容じゃ無いと言う事は本編、第一章の始まる直前ですぐに知り得る事ではあるものの、先述したまでに甘っただるい(勿論、本来じゃない意味で)内容だという事はやはり読んでいかないと判らない。ここまで書いて、だからこそこれは富士見「ミステリー」文庫なんだな、と判った。完璧だ。完璧で最強でクレイジーでゴーマッドだ。
 ただ、だめ出しをするならば表紙帯の宣伝文句。富士見ミステリー文庫はあなたに恋をさせます、とかそんな事言っている場合じゃねえよ。

 まず第一に気になったのが、藻屑がどこまで狂っているのかという点。
 最初読んだ時は中盤から、二度目は最初から。藻屑が狂っている訳ではない、という事は判る。おかしな事を言うのは周りに(そしてなぎさに)、自分に興味を持って貰いたいから。
 狂ってはいない。なのに普通からかけ離れている。この事実がそもそも虐待の存在を意味する訳だけれども、じゃあ一体何なのかといえば、単に知らないだけなんじゃないかな、と思う。普通というものを。しかしどうもこれはしっくり来ない。普通を知らないという訳でもないのに、知っている訳でもない。じゃあどうしてここまで"砂糖菓子の弾丸"をばらまくのか。虐待を受けている為普通のコミュニケーションが取れないから?
 藻屑は本当に愛情表現と憎しみの区別が付いていなかったのか。これは、花名島をシバき倒すエピソードさえ無ければ断言出来たと思うのに、あれの所為で僕はその力を失ってしまう。数々の「死んじゃえ」発言には本当の自分を知られたくないという思いが込められている気がして、そこには藻屑の正常さが見えて来る訳で、単に愛情と憎しみの区別が付いていないという訳じゃないと思えてくる。一体、花名島をシバき倒したのは自分を殴打した仕返しとしての憎しみからなのか、そんな花名島が謝ってきた事に対する愛情表現からなのか。そのどちらでもなく、突発的な加虐だったのか。
 思うに、この時藻屑の中で愛情と憎しみの感情に対する混乱が起こっているんだろう。愛する父親からは虐待を受ける。しかしおとうさんは大好き。愛情に飢えた末、それが愛情表現と思い込む事で自分を納得させる。しかし頭の悪くない藻屑は世間に触れる間に憎しみ→暴力に繋がるという事実を知る(知っている)。立ち位置としては、愛情と憎しみの倒錯が起こっているものの、心の奥底でそれは正しくないと判っている、的なかんじ。
 父親からの「愛情」はやはり間違っている、おかしいものだ、と知ってしまっている。だからこそ、「好きって絶望だよね」と言い、「こんな人生、ほんとじゃないんだ」と逃避し、挙げ句なぎさと一緒に逃げる事を選択する。彼女の言う「ぼくのためにすげーがんばってくれるいい感じの友達」に、彼女は救って貰いたかったんじゃないだろうか。それが叶わないと、彼女は「海の藻屑」になってしまう事を知っていたのだから。
 そして藻屑はそれがなぎさであると言う事をすぐに確信する。ありとあらゆる事をしてなぎさの注意を引こうとする。なぎさの大事なモノを文字通り壊してでも自分に注意が向くようにし向けた。ただし、その方法は愛情と憎しみの倒錯に歪んでいた事は否定出来ない。
 文字通り「逃げる」直前、彼女は始めて本当の笑顔をなぎさに向けた。だからこそ言い切れる。藻屑は、本当は逃げたかった。しかし、父への愛情がそれをさせなかった。何があっても他者に対して虐待の事実を認めなかった。虐待痕を見られる事を快くは思わなかった。痣を「汚染」と言い張って、即ち"砂糖菓子の弾丸"をばらまき続けた。自分は人魚である、と。人魚の姫である、と。自分が最も愛する父親の手に因って殺され、やがては自分がバラバラに切り刻まれるであろう事を予感し、或いは確信していながらも、それでも彼女は父親を大好きであり続けた。大好きな父親を慕い続けた。いつの日かその愛情が帰ってくる事を願ながら。そして、彼女はバラされた。

 終盤、なぎさがミネラルウォーターを飲む場面で海野藻屑の正体に納得するのだけれど、これがどうしても判らなかった。なぎさはミネラルウォーターに対して良い印象を決して持たない。むしろおいしくないとか、鉱物っぽい味がするとか、一向に喉の渇きが止まりそうにない気がするとか、ひどい感想を抱く。なのに、それを自分の最良の友達の正体と関連づける。これいかに?
 藻屑はあらゆる時にミネラルウォーターを飲んでいた。主に動揺している時に飲む事が多いような印象を受けるものの、実際はどうも四六時中ぐびぐび飲んでいたらしく、現実の自分が露見しそうになった時に飲むもの、という訳では無さそうだ。ごまかし=ミネラルウォーター、というならばまだ簡単な説明付けができただろうに。……ある時はなぎさにミネラルウォーターぶっかけてたし。
 ペットボトルをなぎさに向かって投げる事の意味は本文中からも明かされるんだけれども、しかし何故ミネラルウォーター=藻屑の正体なのか判らない。藻屑に関しても、なんでこんなやたらミネラルウォーターを飲みまくる女の子なのか不明。虐待と関係があるのか、無いのか。
 「人魚」、だからなのか。

 実弾主義な主人公のなぎさはひたすら実弾を集め続けている毎日に暮らしていた筈。なのに、実はその周りには甘っただるい幻想弾丸をばらまく人間ばかり。表向きはそんな人間を冷めた目で見ているものの、蓋を開けてみると"最強の甘味"たる"あめだま"を(文字通り)纏ったおにいちゃんが居て、そんなおにいちゃんを事実上養っていたり、"砂糖菓子の弾丸"をばらまき続ける藻屑がいたり、全く正反対だ。今ひとつ興味を持てない"社交界"も、彼女にとってみれば"幻想弾丸"のひとつなのだろう。
 なぎさは早く大人になりたがっている、まだまだ子供な中学生の基本だろう。多少周りから冷めているものの、その性質は至って中学生。実弾を持つには幼すぎる。だから実弾を集める。無いから探すんだ。そして撃つ。撃つときはいつも力無い銃に込めて、だが。
 最後。なまじ甘っただるい"砂糖菓子の弾丸"を撃つ人間が周りに沢山いたお陰で、彼女はまた"砂糖菓子の弾丸"では世界を撃ちぬけない、と言う事を悟る。恐らく、なぎさの年齢にしてみればかなりのおませさんだろう。それを悟るまでの間に、藻屑はいなくなるし、おにいちゃんは神性を失って本来のおにいちゃんに戻ってしまった。多くのモノを失った。失ってみて始めて判る事もある、というけれど、果たして子供の彼女に、その事実を悟らせるに値する損失だったのだろうか。最も彼女にとってその損失は絶望に値するのかどうか疑問(むしろ否定的な程に)だけれど。

 桜庭一樹女史の書かれる短編には子供 vs 大人の構図が根底にあると思うんだけれども、結局どれも大人という不条理の権化には勝てない様になっている。あがいて、あがき抜いた挙げ句、「大人」へと合併吸収されてしまうような悲しさがある。そんな中、大人でも子供でもない立ち位置に属する「担任教師」はなかなかアツいものがあったと思う。大人への、子供の代弁者、という立ち位置でもあるし、大人として、子供を守ろうとする立ち位置でもある彼には、ある種の主張が沢山盛り込まれている気がしてならない。スーパーマンになろうとした彼。かつてのサバイバーだった彼。そしてそんな彼に、なぎさは自分の将来を見る。

子供の虐待に対する怒りとか、そんなもんも全て吹っ飛んじゃったくらいにインパクトがあった話。少なくとも僕はそう感じた訳で。虐待に耐える事しか出来ずに、しかしそれを必死に隠している藻屑には萌えとか可愛いとか、そう言う感情以前にひたすら憐憫とか憐情とか、悲しい気持ちしか浮かばなかった。他人に現状を知って貰いたいと切望している。否、その事実すら自分でも判っていない可哀想な女の子。端から見れば、自分を人魚だと言う既知外女。実際の所は、虐待に耐え愛情に飢えただひたすら待ち続けた女の子。せつねえ。
 担任教師は藻屑の死後、生きる気があったのかよ、と呟くが、これは彼の彼自身への自虐的な叫びであって本当に疑問に思った訳ではないと思う。思いたい。藻屑は本当に生きたかったに決まっている。だからこそ「すげーがんばってくれるいい感じの友達」のなぎさを切望したんだから。
 生き残った子供だけが大人になれる、という。果たしてそうだろうか。むしろ僕は、「大人はいつも子供を殺そうとする」ような気がしてならない。そしてそんな大人に「殺された」子供だけが「大人」になれる、「大人」になっているんじゃないか、と。勿論、中には大人に殺されることなく大人になる子供もいるのだろうけれども、これはかなりねじ曲がった性質の持ち主なんだろうなぁ。子供の頃抱いていた夢も希望もきっちり捨て去って現実だけを見据える、これが大人になる為の通過儀礼。そしてこの儀式によって子供は「死」ぬんだ。
 一回目の読後、まぁ授業中だった訳ですが、その授業というのが糞下らない授業で(だからこそ授業中に読書なんかしていた訳だけれど)、その授業に対してとか、或いは最近の僕に対してとか、もう全ての事に腹が立った。物凄い苛々感。悲しさと苛々がミックスして、この感想を書いている途中まで具合が悪かった。僕は、話に極端に引き込まれた後で現実に戻るといつも具合が悪くなる。まるでアレルギーみたいだ。
 ……本当はもっと沢山の事を考えていたんですけれども、僕の容量が保ちそうにないのでこの辺で。保ちそうにないというか、既に保っていないというか。

 しっかしアレだ。前回の短編の「推定少女」と物凄い良く似た構図なんですよね、今回の話。中学生の女の子。ぼくっ娘。冷めた主人公。変な女の子。お兄ちゃんの存在。嘔吐。大人は敵。逃げる。などなど。
 構図としては似通っているけれどもその主張は全く別物に感じられる辺りが物書きの凄さかなぁと思ったり思わなかったり。

 最後に、挿絵についての言及。
 正直、この話のあの挿絵はものすごくあわない。激しくミスマッチ。ただし、もしそれをも考えに入れた上での事だとしたら、それを考えた人は激しく馬鹿か天才かのどちらかだと思う。
 単純に絵だけみたらほわほわで良いんだけれどもねー。この内容とはどうもねー。みたいな。

 あー。長かった。
 まぁ最後の最後で結論を言うならば、「ぼくっ娘」はいいものだ、と。
 今回「ぼくっ娘」は主人公じゃなかったけど。
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by kurosabi | 2005-06-14 21:51 | 感想
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